華僑のお友達
アメリカで大学生だった時、中華系インドネシア人で、シンガポール育ちの女の子達との出会いは、その後私の人生で大きな影響を与えました。
その中の一人、少し歳上のRちゃんに初めてあったのは、人物画の基礎クラスでした。
あまり話をしてなかったのですが、ある日、私が授業をさぼって、その代わりにワークショップに出席した時、Rちゃんが話しかけてきてくれたのがきっかけです。(もちろん彼女はさぼらずに真面目に授業にでてました)
「来週テストあるの知ってる?休んでたからプリントPDFで送ってあげるよ」と言ってくれたのです!
おかげで単位ちゃん取れました。
そこからずっと仲良しです。
Rちゃんは、イラストレーション専攻で、私はファインアートの専攻だったのですが、共通のクラスがあったので、その後も何回か同じ授業を選択しました。
私はアメリカに行くまで、特別、国際交流など(英会話の先生以外)せずに育ってきました。
なので、3-4ヶ国語流暢に話したりする人に会ったことがありませんでした。
しかも、小学校から教育の為にシンガポールに行くなんて発想は全くありませんでした。
私は、アメリカの大学に入学するだけでも家族を巻き込んでの人生の一大イベントだったのですが、幼少の頃から色々な国に住んだり、親戚がアジアやアメリカにたくさんいたりとか、自分とあまりにも世界が違ったり広すぎて、世界には色々な人がいるなぁと実感したのを覚えてます。 (←この言葉、留学中何回も頭を駆け巡りました)
アメリカに憧れて留学したのにいつの間にかアジア人、日本人としての自覚やアジア文化に興味がでてきたのを覚えています。
チャイナタウンにもよく通ってました。
もちろん、彼女の故郷、スマトラ島にも遊びにいきました。
料理も美味しくて、ゆったりとした時間が流れててまた是非行きたいです。
(メイドさんが4ー5人いました。生まれて初めてメイドさん見ました。自分が物凄く庶民と実感しました(^^;)
その後、Rちゃんとは、香港で再会してます。
一緒に旅行して、彼女の親戚の家も一瞬お邪魔させてもらったりマカオに一緒に行って、負けたけどカジノをしたりしました。
この香港旅行は私がアジア文化に再び興味を持ったきっかけの一つでもあります。(香港についてはまた別の機会に)
Rちゃんと出会ってなかったら、初ボーナスで行く旅行先を香港にしようと思わなかったかもしれません。
この香港旅行の後、アジアへの関心がより深まり、シンガポールに行く事になります。
そこで前お話したプラナカン文化に出会ったのです。
20歳ぐらいの出会いがここまで後の人生の生き方に影響するとは、全く想像もしてなかったですが、Rちゃん達に会うか会わないかで大分人生が違ったと思います。
留学して、本当に良かったです。
親に感謝です。
Rちゃんとは、日本に旅行に来た時に、一瞬会ったきり、気がつけば、もう2-3年くらい会ってません。
早くカフェ業を起動にのせて、旅行できるようになって、また昔の友人に会いたいものです。
(写真はスマトラ島の写真で、Rちゃんに送ってもらいました)
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